5月4日 荊州闊歩 5月4日 荊州闊歩

行った都市:荊州、麦城、当陽
行った聖地:張飛一担土、開元観関羽像、卸甲山、三国公園、得勝橋、関公刮骨療毒処、荊州関帝廟、荊州城、周倉墓、麦城遺址、糜婦人像、長坂趙雲像、長坂公園


今日は、5時半に起床。
昨日の豪雨は、すっかり去って、本日晴天なり。

昨日ぶちまけた荷物を全部バッグの中に戻して、7時前に出発。
まずは、自分のいる場所を把握するために、昨日バスを降りたバスターミナルへ行く。

うーん、自分の思っていた場所と、ぜんぜん違う場所だ。
目的地とも、かなり離れている。
とりあえず、近くのバス停へ行き、目的地方面に行くバスに乗り込む。

おっと、ここで、今旅3回目の交通事故発見。
バイク対自転車のようだ。
自転車の方は、リアカーでバナナを運んでいたらしくバナナが道に散乱している。
なんか、香港映画にありそうなシーンだな。


30分ほどで、下車。
今回は、間違えなかった。

地図を見ながら、張飛一担土の場所を探す。
が、見つからない。
人に訊くと、あっちだと教えてくれた。

地図に載っている場所と全然違うやん。
川のあっち側とこっち側では、全く違うんですけど。
そういえば、許昌のときの地図も適当だったな。
このいい加減さには、あきれるわ。


張飛一担土
張飛一担土
手前は、ごみの山
張飛一担土は、張飛が土を担いで来た場所と言うことらしいが、
あったのは土というより、ごみだった。
張飛はゴミを運んできたのか。

でもって、看板に書かれていた張飛と思しき人物の顔は、
どうみても、光栄の三国志からのパクリだった。
しかも、張飛じゃなくて、たぶん、袁紹の顔だよ。


続いて、近くのバスターミナルへ向かう。
ここで、バックパックを預けるのだ。
という予定だったのに、荷物預け所はなかった。
がびーん
今日も、重いバックパックを担いで、歩けというのね。


仕方がなく、バックパックを担いだまま、
まずは、本日の目的地の中で一番遠くにある
荊州博物館までバスで向かう。

荊州博物館には、三国志関連の展示物があるという情報があったけど、
実際には、何もなかった。
展示物が変わってしまったのだろうか。

ただ、他の展示物がよかったので、割りと満足している。
特にすごかったのは、ミイラ。
ミイラというか、ただの死体だな。
昔の墓から見つかったらしいものだけど、
保存状態がよくて、内蔵とかまで、そのまま残ったらしい。

しかし、実際は、最近の死体だったりして。
どっかから、死体を調達してきたんだよ。
おお怖い。

開元観 関羽像
開元観 関羽像
博物館に三国志関連のものはなかったけど、すぐ隣の開元観というところの林の中で、
赤兎馬に乗った関羽の像を見つけた。
事前情報にはなかったから、うれしい。
しかし、こんな林の中では、たまたま通りかかった人じゃないと、見つけられんだろう。
たまたま通りかかった私は、運がよかったよ。



卸甲山
卸甲山
工事中でした
博物館の後、卸甲山まで歩いて向かう。
博物館から500mくらい。
卸甲山といっても、山ではなくて、建物だ。
おまけに、建築中で中には入れない。
写真だけ撮ってきた。


次は、三国公園。
1キロくらいあるから、バスを使おうかとも思ったけど、
どれに乗ればいいのか分からない。
間違って変なところに連れて行かれるよりは、と思い、歩いて行った。

しかし、遠かった。
地図だと、1キロもない感じなのに、実際は、それよりだいぶあった。
どうやら、中国地図は、縮尺もいい加減のようだ。


三国公園 入り口
三国公園 入り口
三国公園は、入場が有料だった。
公園内に、何かがあるという情報もなかったので、
中には入らず、入り口にある三兄弟の石像だけ撮って満足してきた。



得勝橋
得勝橋
後方は、荊州城
次は、関羽が凱旋したときに通ったという得勝橋。
ここも歩いて向かう。
あいかわらず、地図の縮尺がおかしい。
地図だと長いはずの距離が実際は短かったり、その逆だったり。

今度は、すぐに着いてしまった。
特になんと言うこともない、普通の橋でした。
写真撮って、ここも満足。


次は、関羽と華佗の像、関公刮骨療毒処がある病院へ向かう。
やっぱり歩き。
500mから1.5kmくらいの間隔で目的地が点在しているんだよね。
だから、歩きがちょうどよい。

病院は、しばらく東へ行ってから、南に曲がったところ。
曲がるポイントはまだかなあと歩いているうちに突き当たりまで来てしまった。
あうあう、いつの間に、こんなに進んでいたんだ?

戻る根性がないので、病院までバスで行くことにした。
このとき気づいたのだけど、曲がるポイントはさっきの橋のすぐ近くだったようだ。
地図だと距離があったから、ひたすら歩いたというのに。

関公刮骨療毒処
関公刮骨療毒処
病院の前でバスを降りて、病院内に進入。
関羽と華佗医者の像は、病院の中庭にあった。
病院内にもかかわらず、私以外にも見学に来ている人がいたよ。
有名なのかね。
写真を撮って、ここも完了。


次は、荊州関帝廟だ。
関羽関連ばっかりだな。

ここも病院から歩き。
地図はすでに信用がないので、人に訊きながら、徐々に近づいていき、
迷わず到着することができた。


荊州関帝廟
荊州関帝廟 入り口
入場無料だったけど、立派なものだった。
ここまでの経験では、30元取っても怒られないくらいのいい出来だった。
ここの金ピカ関羽は、かっこよかった。

あと、赤ずきん関羽もいたな。
思わず、笑ってしまった。


次は、荊州城の南門。
やっぱり歩き。
関帝廟からは100mも離れてない。


荊州城 南門
荊州城 南門
ここの城壁も、襄陽城のときと同じくかっこいい。
そして、魏と呉の激戦が繰り広げられたかと思うと感慨深い。

写真撮って、荊州での予定は完了。
城壁の上に登ることができたので、そこを歩いて、バスターミナルへの帰途につく。


1キロちょっとくらいでバスターミナルに到着。
ここで、当陽行きのチケットを買う。
「当陽行き下さい。」
「ないよ。」
なんと、ここのバスターミナルには、当陽行きのバスはないらしい。

当陽は荊州の西側にある。
だから、町の西側のターミナルがいいだろうと思って、
わざわざ、ここのターミナルを選んだというのに、失敗だった。

目的地を宜昌に変更しようかとも思ったけど、
遠回りになる分、余計なお金がかかると思い町の中心のターミナルへ向かうことにする。


とりあえず、バス停まで来たものの、どの路線に乗ればいいのか分からない。
そうだ、朝乗ってきたやつに乗ればいいじゃん、
と思いつき、乗ってみる。

あれ?朝と道が違うよ。
帰路は違う道なのか。

すぐに降りてもよかったけど、近づいているのは間違いないので、
そのまま、行けるところまで行くことにした。
まもなく、終点到着。

目的のバスターミナルまで、2キロといったところか。
ここから、バスを乗り継ぎたかったけど、
間違って変なところに連れて行かれるよりは、と思い、歩いて行くことにした。
って、同じことを、前にも書いたな。


しばらく歩いて、無事到着。
荷物は重いけど、今日は意外と涼しいので、そんなにきつくない。

当陽行きチケット、今度はばっちりゲットだぜ。
13時40分に発車予定の所、45分過ぎに発車。
おまけに、荊州市郊外まで来て、なぜか30分ほど停車。

15時には当陽に着くかと予想していたのだけど、
これは、けっこう時間かかるかもしれん。
おまけに、当陽は終点じゃないからね。
通り過ぎないように、要注意だ。


と、ここで予定変更。
どうやら、このバス、麦城のすぐ横を通るらしい。
麦城には、時間があったら行くつもりだったのだけど、
横を通るなら、行かない手はない。
当陽行きのチケットだから、過払いの分が若干もったいないけど、問題なし。

周倉墓
周倉墓
車掌さんに、麦城に行きたい旨を伝えたら、麦城で降ろしてくれた。
思っていたよりも早く到着。
まずは、周倉墓へ行く。
近くの人に場所を訊いて、あっさりと到着。

それにしても、周倉は架空の人なのに、何で墓があるのだろうか。
墓には、誰が入っているのだろうか。
まあ、いいけどね。


続いて、麦城遺址に向かう。
1.5キロほど歩く。
それにしても、よく歩くな。
最近、毎日10キロ以上歩いている気がする。

麦城遺址は、近くまで行っている気がするものの、なかなか見つからない。
近くにいる人に、「”麦城遺址”はどこですか?」と訊くと、
「”麦城”はここだよ」と。

確かに、ここは麦城村なのだけど、それを訊きたいわけではなくて・・・。
という細かい説明ができないので、
そういう人には、さっさとお礼を言って、次を当たる。

麦城遺址
麦城遺址
ただの丘です
同じようなやりとりを何回かしつつ、ようやく目的地到達。
しかし、麦城遺址は、ただの丘なんだね。
丘があるだけ。
せめて、石碑ぐらいあって欲しかったのだけど、何もなかった。
自分が見つけられなかっただけかな?


次の目的地は、糜婦人の像。
麦城遺址から2キロほど、また歩く。
歩いているときに気づいたのだけど、
音楽聴きながら歩くと、通常の3割り増しで歩くのが速いよ。
持っててよかった、携帯音楽プレーヤー。


糜婦人像
糜婦人像
糜婦人像は分かりやすい場所にあったので、迷うことも、人に訊くこともなく到着。
写真撮って、麦城村での任務完了。


糜婦人のすぐ前でバスを捕まえて、当陽に向かう。
当陽には、30分くらいで到着。
まずは、宿探し。
本日の宿は、趙雲像の近くにしようと思っていたので、趙雲像を探す。


趙雲像
趙雲像
手元の資料&人に訊いて15分くらいで趙雲像発見。
かっこいい。
写真撮りまくりだ。



長坂公園
長坂公園 入り口
趙雲像のすぐ後ろには、長坂公園がある。
本当は、宿を見つけて、荷物を置いてから行くべきだったのだけど、
見つけてしまったら、気持ちが急いて仕方がない。
バックパックを背負ったまま、突撃。

入場料無料だ。
ラッキー。
いろんな人物の像がある。
ネットではごちゃごちゃして趣に欠けるという意見もあったが、個人的には満足。

公園内に関帝廟もあった。
近づいていくと、近所のおばあさんが話しかけてくる。
どうやら、線香を買わせたい&募金をさせたいらしい。

なので、言っていること分からない振り。
(まあ、本当に分からないんだけどね。)
シエシエシエシエ言って、さっさと立ち去ってきた。


長坂公園を一通り見終わって、ようやく、宿探し。
趙雲像の向かい側の宿にする。
「いくらですか?」と訊いたら、「いくらならいい?」と聞き返された。
新手だ。そう来たか。

こちらから切り出すと、決定されてしまいそうだったので、
とにかく、相手に言わせる。
90元だって。
「もっと安い部屋ありませんか?」(これが言いたかった)
と訊いたら、70元があるって。
計画通り。
それで決定。

身分証にパスポートを見せると、「5月2日(前日)にも日本人が泊まったよ」って、
宿泊記録を見せてくれた。
そんなの見せていいのかいな。
日本だったら、個人情報とか言って、うるさそうだな。

「その人は、中国語話せたけど、あなたは話せないね」って言われた。
はっはっは。
やかましい。


部屋に荷物を置いて、夕食を買いに行く。
今日は、屋台パーティーだ。
屋台で、ちょっとずついろんなものを買っていく。

ご飯を固めて、焼いたものを買った。
ご飯は久しぶりだな。中国に来てから初めてだ。
あと、小麦粉を揚げたものと、焼きそばみたいなものと、
串に果物を刺したものを買った。

串は、芋みたいな食感だった。
ちょっとだけ甘かった。
何だったんだろうか。よく分からない。

で、買ったものを部屋に戻ってから食べようと思っていたのだけど、
焼きそばができるのを待っている間と、宿への帰り道で、
焼きそば以外を全部食べてしまった。
お腹空いて、我慢できなかったんだ。

考えてみると、朝食は油条2つだけ、
昼食は、小麦粉をのばして揚げたもの1つだけだったから、
お腹がすくのも無理なからん。


部屋に戻ってから、
今日も、動画を見ながら、焼きそばを食べる。

その後、今日も洗濯。
毎日、洗濯しているな。

続いて、お風呂。
この辺は、毎日パターン化しているな。

さらに、日記を書く。


今日の宿は、虫が出るな。
腹立たしい。


お金がなくなってきた。
そろそろ、両替したいところ。
だいたい1日当たり200元のペースだから、
200元×30日で、6000元。
日本円にして、約10万円で済みそうだ。